既に話題にっていると思いますが、『放射能と原発の真実/内海聡』が発売しました!
本業よりも今や講演会や執筆に追われていそうな、断薬やワクチン反対などを掲げているキチガイ医(東洋医)として知られる内海聡先生が、丸1年ぐらいかけて原稿を書き上げてくださいました。
本当に感謝しています。
既に読んだ方々から、「書いてくれてありがとう!」というメッセージが編集部に多く届いていますが、是非とも講演会などで内海先生に直接メッセージをお願いします♪
小出裕章助教といえば日本の工学者(原子力工学)であり、京都 大学原子炉実験所助教であり、いわゆる原子力の専門家でありながら、3.11以前からず~っと原発のリスクを訴えて反対してきた貴重な方です。
雑誌には掲載しきれなかった対談内容は、追ってyoutubeのveggyチャンネルでも流す予定です。
さて、今日は3.11の東日本大震災と福島原発事故から4年目ですね。
3.11直後には見えなかったことも、ようやく多くの人が気づき始めているような気がします。
この日が来るたびに、きっと皆それぞれの3..11を思い浮かべると思います。
私自身は3.14の福一爆発の直後、国内・海外のインターネットで飛び交う情報を見極め、二人の子供を連れ、九州の実家へとりあえず行きました。
その時の羽田空港の異様な雰囲気は今でも鮮明に覚えています。
国際結婚をした私の知人の話を聞いても、成田空港も同じような雰囲気だったようです。
私自身、あの時は本当に“戦時中の疎開とはこんな感じなんだな。。。”と絶望的なこの国の政策・対策やそれを良しとしてきた社会や自分自身に対して涙が止まりませんでした。
そんな色んな事を考えたり、とにかく早く逃げなければと焦っていたせいか、行きのタクシーに携帯を忘れてしまったりドタバタでしたが、そんな日に羽田空港にいたのは、やはりネットでいち早く情報をキャッチしていた人たちでした。
私と同じように子供だけ連れて取り急ぎ実家へ行く人も多く、並んでいる時に「やっぱりあの爆発はまずいですよね」「絶対に放射能はもれてますよね」「メルトダウンって英語版のウィキペディアにも書いてましたよね」と数人の見知らぬママと確認するように話しましたが、その時会った方は皆西の方に実家がある方ばかりでした。
もちろん、その前に既に逃げていた人は数多くいたと思いますが。
実はveggy編集部には関西出身のスタッフもいて、もちろん3.11の時も一緒に仕事をしていたのですが、彼にとっては東京のそれよりも淡路大震災の時に実際に身近な人々が亡くなった時のショックの方が大きいのだそうです。
私にとっては今までの人生の中で大きな震災は3,11でしたが、そうでない人は中にもいるでしょう。
ただ放射能の問題はもうこの国に一生つきまとうことになります。
でも対策や希望はあります。
その一例として、内海先生は新刊でそれらをピックアップしてくれています。
ともかく国家予算が投じるべきところに投じられず、外交もどうしようもなく下手で無駄に赤字を出しているこの国で、いかに国民が平和的に生きるかという事は本当に大きなチャレンジですよね。
“原発維持=核保持=国を守るため”などと一部で云われているようですが、私は核の平和的利用などはあり得ないと思っています。
私の生まれ育った小さな田舎町は核反対を掲げていますし、政府諸々が仕組んだ企業による汚染がれき拡散も住民の強い反対があり、受け入れられなかったようです。
子供の頃は、そんな田舎町から早く都会や海外へ出たいと思っていましたが、今考えると人はみんな自分が望んでそこに生まれてきているのだな~と感じます。
一説によると、産道を通ることで、生まれる瞬間にそれを忘れるようですが、例えば帝王切開などで産道を通らなかった子供は覚えている子も多々いるようですね。
体内記憶をテーマにした映画「生まれる」などで語られていますね。
ともかく、これからこの『放射能と原発の真実』に対して、私たちそれぞれがどう向き合うのか、試されているような気がします♪
良くも悪くもまたもや国民性(民度)が試されそうです。
I'm a Mom of Three, Loving Plant-based foods & yoga, President & Founder, Kirasienne Pubulishing Inc.